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イ・ドンジン集中インタビュー 後半ネタバレOK編

2010年10月02日 23:11

イドンジン2

集中インタビュー(2) キム・ミョンミンの苦痛と楽しみ

イ)公開前から「私の愛、私のそばに」に注がれた評論家の様々な評価を読んで、どのように思われましたか?

KMM)皆さんものすごく期待されたようです。その点に対して本当に感謝申し上げます。期待が大きければいくらすばらしい作品だとしても失望する部分もあるでしょう。良い評価もあって、そうではない評価もあるんですが、「私の愛、私のそばに」は外部の評価と関係なく、みんなが力を合わせて作った作品であることは明らかです。今、私たちはこの映画でやっただけの評価を受けていると思います。それ以上でもそれ以下でもないと思います。評価を切り下げられたこともその反対もないと思います。

イ)「私の愛、私のそばに」という映画を横において、記事と話題がすっかり減量にだけ集中した状況に対しては残念さやプレッシャーはないでしょうか。

KMM)それは仕方ないと思います。いったん記者の方々が記事を書くためには、いくつかのソースがあるでしょうが、その中で最も書きやすいのは減量だったのでしょうから。書けば、反応が即刻来るのは減量記事であるのに、仕方がないでしょう。読者の皆さんは読みたいものだけ読むということなので、結局読者が減量に関する内容を読みたいということなのでしょう。そしていずれにせよ大衆映画はたくさんの観客が訪れるようにしなければならない状況なので、減量に関する話が観客の方々をもう少し強力に劇場へ呼ぶことができることであったりするでしょうし。それはまたごまかしではなく、実際事実なのでどうしようもないと思います。私が残念だと話したとしても変わることもないじゃないですか。

イ)公開を前にして俳優たちが「ヒザ打ち導師」のような芸能番組に出演する例が多いのですが、キム・ミョンミンさんはそのような場所を避けるように思います。

KMM)わざと出ないのではありません。出ても特別話すことがないためです。他の人達を笑わせる芸もないですし。私が視聴者としてTVを見る時もそのようなところに出演して笑わせることができない人を見るとものすごくバツが悪いんですよ。(笑)そのような場所ではどうしても俳優の私生活に主に話を振られるんですが、私にはお知らせするほどたいした私生活もないです。私がもともとたいくつで面白みのない人間ですので。(笑)

イ)撮影途中、パク・チンピョ監督に一番たくさん質問したのはどんなことでしたか?

KMM)ジス(ハ・ジウォン)に対するジョンウの感情の状況について取り違える部分がありました。映画後半に行くと、ジョンウに大脳神経障害が起きる時、性格も影響を受けるようになるでしょう。その時ジョンウがジスに冷たくするのが大脳神経障害のある症状としてなのか、あるいは愛する人のために冷たくあたる振りをすることなのか、について疑問が生じました。それでその部分についてたくさん質問しましたね。病気が深く進行するにつれ、段階的に演技をしたりしましたが、私はどんなに障害が強く来ても愛にたいする感情は変わらないと考えました。神経質になって残酷な態度をとっても、それはすべてジスを愛するためであるという思いを持って演技しました。それと同じ感情を表現するいくつかの場面が編集されて(カットされて)少し残念でしたが、それでも劇中でジョンウのそのような考えをうまく表わせたと思います。

イ)演技をして見ると、演出者と意見が異なる時も多いじゃないですか。そういう時はどのようになさいましたか?

KMM)異なる意見が生じてもパク・チンピョ監督はその場で俳優が納得するまでお話されます。監督に説得力がなかったら、おそらくそのように演技できなかったでしょう。俳優は納得が行かなかったら演技することができないですからね。それでも監督の言葉はかなり力があったので、その意図のまま演技しました。私の意見もうまく取り入れてくださいました。

イ)「私の愛、私のそばに」の導入部で黒い喪服を着て登場されますが、最初の場面からその顔が、私の知っているキム・ミョンミンさんの姿とかなり違うので驚きました。この映画撮影にまさに入って行く時の心構えはどうだったんですか。どのように演技しようと決心されたのでしょう?

KMM)人間キム・ミョンミンが持っているかもしれない邪悪なものを含め、あらゆる悪いものをすべて吐き出してきれいな気持ちで臨みたかったです。女性たちが妊娠するようになると、良いことだけ考え、胎教に良いことは全部するじゃないですか。そのような心情だったでしょうね。そのうえ、その最初の場面は母をたった今見送った純粋な青年の心を表現しなければならないテーマだったので。

イ)「THE SEA INSIDE」や「潜水夫と蝶」のような映画の中の場面が浮かんできますが、「私の愛、私のそばに」でジョンウが幻想の中でダンスを踊るところがすごく印象的でした。顔にとまった蚊1匹さえ追い払うことができず無力感を感じたジョンウが幻想の中で(蚊を)叩いたあと、意気揚揚とわんぱくな子供のような表情をするのが面白かったです。そしてジョンウは廊下で一人自由にダンスを踊ったあと、ジスに電話までかけて、すっかり治ったと知らせるでしょう。でもベッドにずっと横たわっている演技ばかりしていて、突然このようにたくさん動く演技をするようになると、肉体的にもものすごく負担になるのではないですか?ダンスする体があまりにも痩せていて、危なっかしく見えたんですが。

KMM)その場面は本当に夢をみるように演技しました。たとえ夢であっても、その時ジョンウはどれだけ嬉しかったでしょう。彼には夢でも私には現実だと思って浮かれて演技しました。でもいざ演技し始めると現実の壁にぶち当たるようになったんですよ。本当に演技していて死ぬかと思いました。寒い日に薄い患者用パジャマだけを着ていたので冷や汗を流して倒れてしまい、監督がずっと私の体をもんでくださらなければならなかったです。その夢の場面の最後の部分でジスに電話をかけるじゃないですか?でも、今映画には残っていませんが、その直前に自販機でコーラを買って飲む場面も撮りました。その部分の演技のため、少しリハーサルをしたんですが、私がコーラのボタンもちゃんと押すことができず、その横を繰り返し押しているんですよ。体も少しずつ前後にしきりに揺れるようになりましたし。

イ)体はどうしてそのように動いたんですか?

KMM)そのようにしなければバランスをとることができず、倒れると思ったんですよ。それでコーラを一口おいしそうに飲む演技をしたんですが、それを胃が受けつけなくてずーっと吐いて騒ぎになりましたね。後で電話をかけるシーンを撮るんですが、私の動作があまりにも散漫だと監督が指摘されて、結局撮影を中断されました。そう言って私に「もう体重を減らすのはやめろと、このままでは死んでしまう」と深刻におっしゃったんですよ。

イ)その言葉に何と答えられたんですか?

KMM)(映画の中で)私が死のうとするなら、まだもう少しいなきゃならないでしょ?と言いました。(笑)

イ)劇の後半からジョンウが話すことができなくなった以降では、彼の心の中の声がボイスオーバー(画面の外の声)として処理されて出てきます。ところで劇中のむごい状況に比べてボイスオーバーで録音したセリフは相対的に明るいトーンで処理されたんですよ。これはキム・ミョンミンさんの意見でしたか?

KMM)その点については監督と私の意見が一致しました。体はほとんど動かすことができないですが、心ではジョンウが本当に自由だったらいいなと思ったんですよ。体が死んで行くのを観客たちが皆知っているのに声まで死んで行ったら魅力がないと思いました。それで、それはおそらく聞くことができない心の声なので、いくらでも劇と劇を行ったり来たりしてもよいという判断だったのでしょうね。

イ)個人的にこの映画で最も悲しい場面はジョンウがベッドに横たわったまま、ジスに心の声で「もう一度生まれ変わっても」を歌ってあげる部分でした。力なく沈んだ、かすれた声でその歌を歌う姿は胸が締め付けられたんですが、その場面を撮る時どうでしたか?

KMM)あの場面を撮りながらものすごく泣きました。歌を歌う間ずっと涙が出て部分部分、途切れながらするしかなかったでしょう。撮影のセッティングを変える時間も涙が止まらなかったんですよ。

イ)「私の愛、私のそばに」の後半部場面からは体の状態がなにせ良くないので、どのように演技をしたかよく覚えていないとおっしゃいました。方向感覚も失って、人の顔も見分けられなかったと。

KMM)あの時はだた、来るものが来たとう思いしかなかったです。医師と相談をしたら、とんでもないことだと言われました。私の体が元々脂肪があまりない状態だったんですが、そのような状況で急激に体重を落としたら、低血糖を始めとするいろいろな症状が次々に襲ってくるということでした。確かに時間が経って医師が警告されたことが全部来たんですよ。でも前もって知ってはいたので、動揺はしなかったですね。当然のことだと受け入れました。痩せれば痩せるほど症状が深刻になるのでこのように思ったんですよ。寝ていて目を覚ましたけど、私が起きれなかったらどうしよう。なぜならその場に横になっていてもずっと天井が回っているんですよ。空中に体が浮かんでいるようでした。それは撮影していてもそのままの状態でした。そうしながらも、一方ではそのような感じを受けることができて良かったとも思いました。そしてこれは人間の脆弱な限界だと思ったりもしました。この程度で崩れるのだなあと思ったんですよ。

イ)事実、俳優はどんなに劇中配役にのめり込んでも、そのすべての演技を自らコントロールしていなければならないのかという疑問が生じたりもするんですが。

KMM)私としては、そのような感じを逃したらだめだったので。そのようにすることが私の最善ではなかったかと思います。

イ)配役に完全に入り込むために、ホテルでもカーテンを下げて室内をいつも暗くしていたとおっしゃったでしょう?それで撮影期間中すっと不眠症とうつ症状を耐えていらして、ご家族とも完全に連絡を絶って過ごされたそうですね?ややもすると健康に致命的なことかもしれない減量だけではなく、精神的にもすさむようなこの上ない状態で自ら追い込んで行かれたようなのに、絶対そこまでやらなければならないんですか?(笑)

KMM)そのような行動や状況作りは、私が俳優をしようと思った理由においては一寸の狂いもないことのように思います。そうしなかったならば、俳優の仕事をしなかったと思うんですよ。その瞬間自らが利己的だとは思いません。その時はこの世に私ひとりだけがいて、一番恐ろしいことはまさに私自身なんです。私がうまくやろうとそうでなかろうと、私の中にある私はうまくできない時、自分をものすごく責めるんです。最善を尽くすことができなかったら一番つらいでしょう。自らが情けなく感じる時が多いのに、その中でもそのような時が一番嫌です。そうしてみると、さらに努力するんでしょうね。私ももちろん苦しいですが、私がまじめにカメラの前で演技をした後、多くの方々がその姿を見て心を動かすのを確認する時、私の苦痛は大したことはないと思うようになります。その方たちが画面の中の私を見て感動して涙を流したと言えば、逆に私がもっと悲しくなり、感動するでしょう。その度にぱっと気が付いて自らさらにムチを打つようになるんでしょうね。

イ)その瞬間には仕事が、家族やさらには命よりももっと大事なんですか?これはちょっとばかみないな質問ですが、演技というものはもちろんすごく重要な仕事ですが、それでもそこに命を懸けるだけの価値があるのでしょうか?

KMM)十分にそれ以上の価値があると信じます。私の寿命がどれだけなのか、実際分かりようがないでしょう。何かの事故が起きてその場で死ぬかもしれないじゃないですか。そんなのは嫌ですが、それが人生なのですから、人生のすべての分野で最善をすべて尽くすことはできないとしても、せめて私が幼かった頃から夢を抱いてきたこの分野でだけは最善を尽くして死んだという声を聞きたいです。その時は家族たちがつらい思いをするでしょうが、私が死んだ後にはこのような声を聞くようにならないですか?「あなたのお父さんは立派に生きてこの世を去られました」。そうだと残った家族たちもうれしいでしょう。

イ)この世を去った後、喜びを抱かせることも価値があることですが、この世に残っている時に家族たちにっ十分に優しく接してあげることも良いのではないですか?(笑)

KMM)普段は十分に可能です。ただ、作品に入れば難しいでしょうね。それでも撮影中には家族や友達と連絡を絶つのがむしろお互いにとってもっと良いかもしれません。(そうしないと)お互いに助けになることは全くないですからね。(笑)

イ)すでに家族の方々は慣れていらっしゃるんですね(笑)

KMM)その期間は家族は皆わかっていて、電話もしません。3~4か月の間どこかに行って死んでもよくわからないでしょう。インターネットで時々私の情報を確認しながらホッとしたりするのかな。(笑)今回も撮影のために父の70歳のお祝いに参加できませんでした。

イ)そのぐらいになれば、恨みもあると思うんですけど。

KMM)皆、理解してくれています。

イ)本当にすばらしいです。(笑)

KMM)理解する方が家族たちも楽だと思います。理解しなかったとしてもどうしようもないじゃないですか(笑)

イ)キム・ミョンミンさんのファンたちは他のスターと少し違うように思います。愛よりは信頼がさらに重要なケースだと言いましょうか。それでもファンたちが今回の演技のせいで体がかなりダメージを受けたのではないかとすごく心配されたようです。特に命まで掛けるような挑戦に、憎むことではなく心配のあまり恨んだりもされたんですけど。

KMM)そこまで心配されなくてもいいんですけど(笑)。ひとまず努力の結果は、それほど努力を注ぐだけの価値があることなのかを前もって知って始める人はいないと思います。
その価値というものは、結果が出た後の評価であるだけでしょう。私にはそのようにつらく努力する過程が本当に重要なんです。他の方は私がどのように私自身と闘っているかについて正確に知ることはできないはずなのに、それはおそらく水面上にのんびりと浮かんでいるあひるが水面下で死力を尽くして水かきをずーっとかいていることと似ているように思います。私は私との戦いで時には勝つこともあり、時には負けることもありながら、4か月をそのように過ごしたと思います。ファンの方々が知らない私だけの成就もありますし。そのようなことが自然と私に染み込みました。ファンであるからできる心配だと思います。その方たちがご覧になってそうだったのなら、その気持ちがものすごくありがたいことでしょう。私よりも前で私の気持ちを代弁してくださるようですし。

イ)一般のファンたちだけではなく、記者たちが書く記事もキム・ミョンミンさんに対してものすごく好意的でしょう。

KMM)私や私の事務所の人々はオンプル(言論(マスコミ)プレイ)ということをしたこともないし、記者の方々とご飯を食べたこともないにも関わらず、ある瞬間私に対して書いてくださる内容を見ると、「この方はファンかな」と思うこともあります。(笑)

イ)私の周辺の記者の中でもキム・ミョンミンさんのファンが少なくないですよ(笑)

KMM)表に見える結果ではなく、非常に長い過程でひとつひとつ戦い抜いてきたことを分かってくださるのだなと思ってありがたいです。結果よりもっと価値のあることをいただいているのでしょう。目で見えることはそれほど重要ではないように思います。結果について考え始めたらキリがないです。「私がとんでもないことをしたのではないか?」と思う時もあるはずですし。しかしそのような後悔はする必要がないと思います。それは私の選択がどれだけおろかであったかを自らさらけだすことにしかならないじゃないですか。もちろん体がもとのようではないです。少しダメになりましたが、回復するでしょう。医師は私の状態について、一度壊れた体は元のようには戻らないと悲観的におっしゃいますが、どうでしょうか。どうせ人の体が100年生きるように作られたのではないじゃないですか。生きて死ぬ時までは大きな支障はないように思います。(笑)

イ)初めて配役を引き受けたキャラクターを作る時、どこから始められますか?例えば私の感じでは「ベートーベン・ウィルス」のカンマエは声から始めたキャラクターという感じを受けたんですが。

KMM)本質が何かを把握するところから始めます。カンマエの場合を例えてみましょうか。彼の性格が、角があるにしろとにかく、彼のすべてのものをフォローしてあげることができるのは、カンマエが天才指揮者という事実にあるでしょう。だから彼に似合う指揮の練習が必然的に要求されるんですね。いったん、指揮ができなければ、性格はあまり意味がないものでしょう。天才指揮者を作り出した時に初めて彼が毒舌を浴びせるにしろ何かをするにしろ、感覚が来るようになるのです。カンマエがそういう風にまでなるしかなかったのは、彼がちゃんと指揮をするためですよ。話し方やヘアスタイル、毒気のある表情のようなものはその次に一緒にやるものでしょう。その役を引き受けた俳優が指揮をできなければ視聴者たちを説得させることができないです。目にひとつ残らず見えるんですよ。

イ)大部分の職業がそうですが、演技は特に結果がすべてを語る分野ではないかと思います。

KMM)演技をしていれば、多くの問題が生じたりします。私が台本を撮影直前に受けとるかもしれません。前の晩に母が亡くなるかもしれませんし。ですがそのようなことは誰も分かってくれません。目に見える結果だけで判断するでしょう。「あいつが家の事情があって眠れなくて撮ったんだな」と考慮してくれる観客はないということです。睡眠を1時間さらに減らして練習すればそれがそのまま(観客に)見えます。そのような努力が結局真実を伝えてくれるし、キャラクターに息を吹き込むようになるでしょう。むやみに「トントンオリ」と悪口を吐き出すのに、誰がカンマエというキャラクターを好きになりますか?しかしながら、そこまで人気が上がるのは本当の情熱と努力があって、魅力が生まれるのでしょう。それを俳優がどのように見せるのでしょうか? 指揮をするある場面で見せてくれるのです。そうでなければ、真実が生まれません。

イ)何年か前に「白い巨塔」で百想芸術大賞 男優演技賞を受賞されたとき、おっしゃった受賞コメントが印象深かったです。「(演技で)やり過ぎるよりは不足な方がましだということは分かっていてもそれがどれだけ難しいか今回わかった」とおっしゃったでしょう。これはキム・ミョンミンさんの演技原則のようなもののようですが、今もそのように考えていらっしゃるのでしょうね?

KMM)そのとおりです。でもものすごく大変ですよ。実際やり過ぎの演技をするのは本当に簡単です。キャラクターの感情を表現する時、その感情が分からないから俳優がオーバーになりますし。オーバーな演技ほど、簡単なものはないですからね。ですから今、始めてから1年しかならない新人たちは演技がすごく簡単だと感じたりするでしょ。そのような新人たちが犯す過ちを、私は10数年たって犯したくなかったんですよ。今も依然としてそうしていたら、演技を続けてはだめだということでしょ。ですが、今もよくわからないですね。ただやり過ぎないようにします。私が判断をうまくできなければ、監督の意見に素直に従います。

イ)「撮影直前までキャッキャと笑いながらふざけていた演技者が、カメラが回る瞬間態度が豹変するのを見ると感心する」という話で、俳優の不思議な側面を語る監督たちに度々お会いします。キム・ミョンミンさんは現場で撮影中の時と、撮影直前の姿があまり変わらないように思うんですが、このような場合についてどのように感じられますか?

KMM)本当にうらやましいですよ。どうしてそのようにできるのかと思ったりしますし。でも俳優として私がひとつだけ信じて疑わない心の奥に秘めた思いはあります。そのように演技したら、カメラに映らないあらゆる細かい部分まで表現することができないだろう。強壮剤がいいからと言って、服用した直後からすぐ効果が表れるのではないように。そのような思いもなければ、俳優としてはすごくつらいじゃないですか。なんら差もないのに私が死ぬほど苦労していたら、本当に悲惨なことでしょう。その方たちほどの才能はないものの、私もある程度生まれ持ったものはあるのに、ということですよ。

イ)演技する時、楽しんでいますか?あるいはつらいけど後でやりがいを感じるのでしょうか?

KMM)つらいですが、結局は楽しんでいると言わなければならないと思います。つらくない訳がないでしょう。それでもそれは結局喜びですよ。「私の愛、私のそばに」の撮影現場でもやせ細った私の姿を見て、驚く人々の表情を見ると本当に楽しかったですよ。撮影日程の間に、2日間の休みでもできれば、「この隙にもっと痩せなきゃ」と決心するんですよ。2日後にまた出て行く時、スタッフたちがその間にすごく痩せたと心配してくれると、素振りは見せないんですが内心ではこぶしを握り締めて「よっしゃ~!」と叫ぶんですよ。最高の快感でしょ。(笑)その上、メイクチームは撮影当初からずっと私を撮って、後で体重を落とした過程が一目でわかるようにしてくれました。すると私はとぼけて「メイクが上手いから、私が痩せて見えるんじゃないか?」と聞き返したりするんです。

イ)そのような時、その言葉を否定してくれなかったら、また傷つくでしょう。(笑)

KMM)その通りです。(笑) 映画が観客たちにお披露目する前にスタッフたちからまず認められるのは本当に気分のよいことです。

イ)キム・ミョンミンさんは自らを消して配役の中に完全に溶け込んでいくメソッド演技をなさいます。韓国の代表的なメソッド俳優の中のひとりとしてよく取り上げられるキム・ミョンミンさんが考える今の時代で最高のメソッド俳優はだれですか?

KMM)ダニエル・デイ・ルイスとショーン・ペンが本当に激しいでしょう。(笑)すごい俳優たちです。「I am Sam.」や「MILK」でショーン・ペンは本当に素晴らしいですね。「There will be blood」でのダニエル・デイ・ルイスを見たら、凄すぎると思うほどじゃないですか?私はあの人が本当にダニエル・デイ・ルイスなのか、疑いながら見たほどでしたよ。声をああいう風にしようと声帯を痛めるぐらいまでして、しゃがれた声を出したと言うんですけどものすごいですよ。ハリウッドは商業的なブロックバスターもたくさん撮りますが、そこで活動する俳優たちの演技力の中でも本当に最高のレベルのように思います。

イ)反面、ある役柄を引き受けるにしろ、配役を自分自身の中に引き込みながら、長く演技生活を送る役者もいます。どんなキャラクターを演じても俳優自身の個性を投影させる人たちについてどのように感じますか?
 


KMM)それぞれやり方が違うと思います。 その方々なりのすばらしい面があるでしょう。すべてのものを自分のものにして観客たちに見せることができるのは、実はすごい魅力なんですよ。一方で、私はそんな生まれ持った魅力がないので、私の姿を全部消してやっと、役に入っていけるんだと思ったりします。生まれ付き持ったものがすばらしく卓越していれば、役を自分の中に入れて演技することができると思います。ですが私は少ししか恵まれていない俳優なので後天的な努力をしながら、役に自分を合わせるのだと思います。私が学校に通っていた時からメソッド演技を習ってきたという理由も大きいです。


イ)1996年にSBS公開タレントオーディションでデビューした後、長い期間無名の演技者として過ごされました。その時期どうやって耐えてきましたか?

KMM)ひとまず私はマラソンランナーとしてまだスタートしていないと思いました。デビューはしましたが、スタートラインを蹴って出るのはまだだめだと思ったので、その前までのすべての時間は演技者としての準備期間だと思ったんですね。それでスタートが早かろうがそうではなかろうが、私にはあまり関係なかったんですよ。もちろん無名時代がつらかったりもしました。何よりも周りの人達の視線が一番プレッシャーになりました。自然に親戚の家にも行かないようになりましたし、家族の行事にも足が遠のくようになったんですよ。親戚たちは、私に会えばまさに今仕事をしなくちゃいけない年齢なのにテレビに出てこない、とおっしゃいますしね。
でもその時代にも私は本当に一生懸命したんですよ。(笑)ですが、端役だったために親戚の目に映らなかったんでしょうね。それでもスタートラインの前なので関係ないと思いました。本当の勝負はスタートした後だと思ったんですよ。その時、失敗しないようにするなら今はもっと経験を積んでおかなければならないという思いで、その当時、自分の気持ちを支えてきました。

イ)だとすれば、自ら「これがスタートだ」と思ったのはいつですか?

KMM)2000年に放映された「お熱いのがお好き?」で初めて主演するようになった時でした。そのドラマでMBCで新人賞をいただいた後、あちこちからラブコールが来て、忠武路に進出し、最初の映画「鳥肌」を撮るようになりましたね。でもその後、3~4年の間私が参加した映画が3本ほどダメになって打撃を受けました。「スタントマン」のような映画はほとんど撮影が終わっていたんですけども制作が中止になったんですよ。苦労した末にやっとスタートしたのに、ずっと後ずさりしているという恥ずかしさにさいなまれました。「ひとまずスタートしたら、ずっと走り続けられると思ったのに違うんだな。」「自分は俳優として才能がないみたいだ」とまで思うようになったんですよ。

イ)これまで全部で8本の映画に出演してその中で5本が公開されました。ですが、キム・ミョンミンさんは「白い巨塔」や「ベートーベン・ウィルス」のようなTVドラマでさらにもっとはっきりと記憶されます。テレビドラマで非常にパワフルな演技を見せてくださった反面、映画では結果的にそうできなかったのはどんなワケですか?

KMM)テレビはスィッチをひねれば誰でも見ることができます。反面、映画は限定された方々だけが見ることができるでしょう。本人の意思でお金を払ってわざわざ選択してやっと見ることができるのが映画ですから。そのような面で二つのメディアの差があるんでしょう。テレビでは私が演技したものがそのまま流れると思います。演技をする時もこれはどんな風に映るのかという思いがするでしょう。でも映画はよくわからないんですよ。テレビは台本のまま放送されますが、映画は台本とまったく違う結果となって出てくることも少なくないでしょう。正直、振りかえって見ると、これまで私が撮った映画は私自身が努力をそれほどしなかったと思うんです。「無防備都市」のような作品は私がすごく楽に演技したのではないかと思ったりします。映画を続けてやろうと思うのですが、制作途中にダメになってしまう場合も多いじゃないですか。ですから8本に出演したのに5本しか公開されないようになったんですよね。私もすごく残念です。

イ)もしかして自分の演技スタイルがテレビの方がもっと合っていると思われているのですかね?

KMM)そうではありません。演技環境は映画が比べ物にならないほど良いのでもっと楽でしょう。テレビがもっとずっと辛い状況が多いです。自ら絶えず気を引き締めていなければならないですし。一瞬も気を抜くことができないですね。なぜなら0.1秒気を抜く瞬間、画面にそのキャラクターではない、自分が出てしまうんですよ。映画は待ってくれようとしますが、テレビは待ってくれないですから。そのような面でベースの部分から何かを引っぱり出さなければならないというプレッシャーがありますね。ちょっとでも安心したら普段の口癖が飛び出してきたりしますしね。しかしテレビはいずれにせよ演技者がやればやるだけ表現できます。映画は少し違うでしょう。

イ)最終的に演技で何かを成し遂げたいですか。

KMM)私には特に夢もありません。つまらない人ですよね。私の夢があるとすれば、それはいつも次回作です。次回作で私が引き受ける役柄でしょうね。その人物の人生を演じて過ごす間、私がその中に入って、その人を表現してあげるのが、私の夢です。それが実話であろうとなかろうと、奇抜なその人の人生ということです。以前には遠い未来に向かった目標を設定したりもしましたが、目先の次の目標も達成できないのに、それが何の意味があるのかと思うんですよ。本当に演技をうまくやりたいです。

イ)時間が経つほど演技者としてだんだんと良くなる自分自身がいますか?

KMM)いません。ただ必死にやるだけでしょう。ある日突然演技の神様が私に降りてこられない限りそれは簡単ではないと思います。ただ、少しずつでも上達すれば嬉しいですね。

イ・ドンジン 

翻訳:SAMTA 09.10.31


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2006.3.15 장군에서 건달로 김명민의 파격변신 <불량가족>

2010年05月09日 14:40

オダルゴン作戦

요즘 드라마들에 자주 등장하는 캐릭터 중 하나가 ‘건달’이다. 사전 풀이로는 건달이 ‘하는 일 없이
빈둥거리며 남의 일에 트집잡기를 하는 사람’이지만, 드라마에서는 코믹함과 겉멋 안에 깊은 상처를
숨기고 있어 연민을 느끼게 하는 사람으로 변주 되곤 한다. 좀 식상한 캐릭터지만, 이 사람이 맡는다면
눈길이 가지 않을 수 없다.

KBS 대하드라마 ‘불멸의 이순신’의 타이틀롤을 맡아 부드러운 카리스마로 시선을 사로잡은 김명민(34)이
갑옷을 벗은 지 6개월 만에 ‘날 건달’로 변신한다. 22일 첫 방송하는 SBS 수목드라마 ‘불량가족’를
통해서다. 이름조차도 건달을 뒤집은 ‘달건’이다.

‘불량주부’의 유인식 PD, ‘토마토’ ‘미스터Q’의 이희명 작가가 손잡은 ‘불량가족’은 사고로
가족과 기억을 잃은 아홉 살 소녀를 위해 급조된 가짜 가족의 엽기 행각을 그린 휴먼 코미디.
가짜 가족을 내세워 가족의 참 의미를 재발견한다는 게 기획 의도라지만, 사랑 이야기가 빠질 수 없다.
일군의 불량 인생들을 끌어모아 가짜 가족을 급조하고 삼촌 노릇을 자처한 달건은 언니 역을 부여 받은
양아(남상미)와 티격태격하며 사랑을 키워간다.

김명민은 15일 열린 제작발표회에서 파격 변신에 대한 나름의 변(辯)을 내놓았다. “이런 역할이면
‘이순신이다!’라는 말을 더는 듣지 않겠다 싶었어요. 이왕 변신할 거면 확 바꾸자 싶어 색깔이
뚜렷한 드라마를 선택했습니다.” 그는 “세 살 난 아들이 요즘도 사극에 수염 달고 나온 사람이면
다 아빠인 줄 안다”고 ‘이순신’ 후유증(?)을 털어놓기도 했다.

김명민은 작품의 기획의도대로 “따뜻하고 진한 감동을 주고 싶다”며 “그동안 (오랜 무명생활을 하며 겪은)
마음고생 한 것도, ‘불멸의 이순신’으로 얻은 이미지도, 또 그 역으로 연기대상을 받은 것도 다 잊고
새 배역에 몰입하려 노력하고 있다”고 말했다.

‘불량가족’의 계보도는 화려하다. 가짜 할아버지ㆍ할머니 역에 임현식과 여운계, 가짜 아빠ㆍ엄마 역에
강남길과 금보라 등 코믹 연기의 대가들이 포진했고, 슈퍼주니어의 꽃미남 김희철이 가짜 오빠 역으로 합세했다.
김명민이 장군에서 건달로의 파격 변신을 얼마나 멋지게 소화해내며 이 막강 군단을 이끌어나갈 지 지켜볼 일이다.

한국일보@이희정기자

2006.1.13Who are you? 2005 KBS 연기 대상 김명민

2010年05月08日 20:26

カメレオン俳優

다 포기하고 이민 준비 중 걸려 온 한 통의 전화, 그렇게 회생했죠!

"이순신 장군님을 연기하게 된 건 내 인생 가장 큰 행운입니다.
장군님, 저에게 정신적 고통을 안겨 주시더니 큰 상을 주시네요. 위대하십니다.
한때 모든 걸 포기하려 했지만 그때 이순신 장군님을 만나게 해 준 이성주 감독님께 감사합니다.
십분의 일이라도 장군님을 닮고자 발악했던 저를 도와 주고 빈 자리를 메워 준 연기자들 고맙습니다. ….
내가 최고라는 어리석은 생각은 버리겠습니다. 내 자신을 위해 연기하지 않겠습니다."


부모와 갈등으로 고3땐 친구 집서 숙식
무명 단역 배우로 찍는 영화마다 쪽박
이순신역 혼신 연기…마침내 스타덤


구랍 31일 2005 KBS 연기대상에서 "대상 김명민"이 발표된 순간 김명민(34)은
동료 연기자 박철민을 뜨겁게 포옹했다. 그리고 무대에서 눈물을 글썽이며 감동적 소감을 이어 나갔다.

최진실이란 강력한 경쟁자가 버티고 있었지만 1년 이상 <불멸의 이순신>에 온몸을 던지며 무명의 설움을
불태운 김명민에겐 상대가 될 수 없었다. 더 이상 연기자로 희망이 없다며 이민을 준비하던 순간
걸려온 전화 한 통으로 운명을 바꾼 김명민은 "한때는 앞이 깜깜했다. 열심히 한다고 해서
되는 게 아니라고 느끼기도 했다. 그러나 누구에게나 기회는 온다. 그때를 위해 항상 준비해야 한다.
인생에서 힘든 시기를 겪는 모든 사람들에게 `이순신의 삶`이 지침이 될 거라고 믿는다"라고 말한다.

■배우라는 길을 택하면서 시작된 부모와의 갈등

지금은 차분해 보이지만 김명민은 어릴 적 끼로 넘치는 아이였다. 유치원 학예회 때 꼭두각시
춤을 춘 것이 그의 인생 역정을 예고하는 사건이 됐다.

"꼭두각시 춤을 출 때 갑자기 정전이 됐다. 나는 컴컴한 상태에서 계속 춤췄고,
다른 친구들은 무서워서 울고 있었다. 좀 있으니 불이 들어왔고 나는 태연히 춤을 췄다.
이를 본 선생님들이 `너는 무대가 체질`이라며 칭찬해 주었다. 어릴 적부터 사람들 앞에
나서는 게 좋았고, 춤도 잘 췄다."

초등학교로 진학해선 춤 때문에 더욱 바빠졌다. 학교 행사가 있거나 소풍 가면 그는 항상
유명인으로 공연에 나섰다. 더구나 마이클 잭슨 춤을 기막히게 추는 친구와 2인 1조로 불려 다녔다.
춤추느라 자유 시간이 없을 정도였다. 뼈가 없는 연체동물처럼 춤춘다고 해 `문어`라는 별명을 얻었다.

"지금은 내가 어떻게 그런 춤을 췄는지 이해가 안 간다. 지금은 전혀 못 추는 `몸치`가 됐다.
당시 인기가 무척 많아 애들이 손들어 뽑는 반장 선거를 통해 여러 번 반장이 됐다.
책임감이 따르니 공부도 잘하게 됐다. 외향적 성격의 아이였다."

부모는 그의 끼를 받아들이지 않았다. 유치원 때부터 교사들이 끼가 있다고 칭찬할 때마다
부모는 인상을 찌푸렸다. 교회 장로와 권사인 부모는 의학박사나 신학박사가 되어
어려운 사람을 도와 주겠다는 꿈을 밝혀야 좋아했다. 고등학교 때 갈등이 극에 달했다.
연극영화과를 가겠다고 하자 부모는 "딴따라를 할 작정이냐"며 냉소했다. 고등학교 3학년 때는
친구의 집에서 자며 집에도 들어가지 않았다.

"부모님은 내가 서울예전에 시험 본 것도 몰랐다. 대학 연극 발표회 때도 부모님은 오시지 않았다.
내가 1996년 SBS 공채에 붙은 후에도 밥벌이를 못하니 부모님은 어디 가서 자식이 탤런트라는
말도 못했다. 나는 친척들 만나는 것도 싫었다. 이제야 대상을 받고 나서 부모님에게 굉장히
자랑스러운 아들이 됐다."

■이순신과 하나가 되어

무명 단역 배우를 전전하던 그는 1997년 말 하나의 인연을 만났다. 일본에서 유학 생활을 하고 있던
지금의 아내 이경미 씨를 소개로 만났다. 당시 아내가 제일 싫어하는 것이 연예인이었다.
만나지 못할까 봐 연예인이란 사실을 숨기며 백수로 위장했다.
1년에 두 번쯤 만났다가 2년쯤 지나서 고백했다. 버림을 받을 거라는 생각으로 두려웠다.

"나, 연예인이다."

"장난해? 네가 탤런트면 나는 미스코리아냐?"

그는 겨우 단란한 가정을 이루었다. 그러나 고난의 연속이었다. 2001년 영화 <소름>의 주인공이
됐지만 전혀 빛을 보지 못했다. 이어 영화 <스턴트맨> <선수 가라사대>가 80% 이상 찍은 상태에서 엎어졌다.
무려 2년 간의 노력이 허공으로 날아가 버렸다.

그는 지금도 턱 밑에 남아 있는 수술 자국을 보여 준다. 1cm 이상 선명하다. "<스턴트맨> 3개월 찍으며
병원에 입원할 정도로 많이 다쳤다. 직접 오토바이를 타야 했다. 지금도 비만 오면 무릎이 쑤신다.
무릎을 잘 못 쓴다. 오른쪽 발등은 오토바이에 찍힌 상태에서 10m씩이나 끌려갔다. 지금도 오른쪽
발등이 튀어나와 스키화는 아예 신지 못한다."

2004년 드라마 <꽃보다 아름다워>를 찍으며 일말의 기대를 했다. 하지만 전혀 두각을 나타내지 못했고
배역은 줄어만 갔다. "내가 괴로워하는 모습을 보며 집사람이 스트레스 받았다. 집사람은 임신을 하고 있었다.
병원에서 산부인과 의사가 나를 조용히 부르더니 산모가 지나친 스트레스를 받고 있다고 했다.
2주 동안 아이가 전혀 자라지 않았다는 것이다."

그는 뉴질랜드로 이민 가기로 결심했다. 매니저와 결별하고, 집과 차도 정리했다.
"시간이 지나니 `이게 내 길이 아니었구나`라는 마음이 들었다. 해도 안되는 걸.
그러고 나니 마음이 편해졌다."

그러던 중 2004년 4월 2일 전화 한 통을 받았다. <불멸의 이순신> PD가 만나자는 것이었다.
"나에게 이순신 역을 맡긴다고 했을 때 무척 당혹스러웠다. 나는 이성주 PD에게
뉴질랜드로 가야 한다고 말했다. 감독은 아마 의아했을 것이다."

3일간 고민할 시간을 받고 헤어졌다. 6일 전화를 주기로 했지만 5일 12시간의 진통 끝에
제왕절개로 아이가 태어났다. 정신이 없어 전화할 여력도 없었다. 6일 오후에 이 PD에게서 직접
전화가 왔고, 그는 집사람 얼굴을 보며 "아이가 우리에게 선물을 준 것 같다"라고 말했다.
아빠가 이런 역을 해 봤다는 이야기를 아이에게 해 주고 싶어 마음을 돌렸다.
결국 명량해전 시 36도가 넘는 땡볕 더위에 20㎏이 넘는 갑옷을 입고 촬영에 임한
그는 탈진하지 않기 위해 소금을 먹는 투혼을 장기간 발휘했다. 이순신과 하나가 되기 위해 밥 먹을
시간에 대사와 연기 연습을 한 이야기, 성공담은 이제 촬영장의 전설이 됐다.


-첫 영화 '소름'의 소름 끼치는 비하인드 스토리

개봉일과 겹쳐 결혼식 석달 연기
어렵게 찍었는데 흥행은 글쎄요


김명민은 2001년 공포영화 <소름>의 스태프와 찍은 사진을 보며 이렇게 말한다.
"내게 소름 끼치는 영화였다."

그는 2001년 3월로 결혼식을 잡고 청첩장까지 찍었다. 그런데 영화사 대표는
개봉을 앞두고 어떻게 결혼을 할 수 있냐고 난리였다. 그가 방으로 들어가자 영화사 대표는
청첩장을 집어 던졌다. 정말 심각하게, 어렵게 잡은 결혼식을 개봉 이후인 6월 9일로 미루었다.
3월 19일 50여 명의 하객이 결혼식장에 왔다가 헛걸음질했다.

결국 그가 신혼여행을 다녀온 후 영화는 개봉했다. 청첩장을 다시 못 찍어 두 사람이 일일이
인쇄 종이를 다시 청첩장에 붙였다. 첫 영화였고 소름 끼치게 힘들었다.

"밤 신 촬영이 무려 70%였다. 그해 겨울 영하 18도였고, 비 신이 무척 많았다. 리허설 때부터
흠뻑 적신 다음에 촬영이 시작됐다. 리허설도 열 몇 번씩 하고. 날씨와의 싸움이 소름 끼쳤다.
주인공이었지만 촬영 후 속이 많이 상했다. <소름> 하면 장진영의 영화였지,
김명민을 기억하는 사람은 없었다."

▲이성주 PD가 본 김명민

<불멸의 이순신>을 연출한 이성주 PD가 본 김명민은 자기 관리가 철저한 사람이다.

"전체 104회 중 최소한 3분의 1은 이순신의 대사이다. 본인이 대사 NG 낸 적이 거의 없다는 것은
대단한 일이다. 말투의 정확도도 흠잡을 데 없었다."

그에 따르면 김명민은 이순신이란 캐릭터에 완전히 빠져들었다. "장군이기 때문에 주변 인물들을
리드해야 하는데 동료들과 어울리지 않으면서까지 대사와 연기에 집중했다. 회식 때도 술을 입에
안 댔기 때문에 약간은 욕을 먹었을 거다. 이순신이 며칠 굶는 신이 나오면 그 역시 그대로 굶었다.
가면 갈수록 더욱 이순신에 빠져드는 것 같았다."

이 PD는 칭찬을 아끼지 않았다. "많이 준비된 사람이다. 나름대로 해박한 지식을 갖추고 있으며,
스타답지 않게 소탈하다. 드라마 끝나고 유명 정치인들이 밥 먹자고 하는 자리가 있어도 안 가려고
노력했다. 그러면서 좋은 일을 하는 자리는 참석하는 사람이다."

일간스포츠


2005.8.30 김명민 "아내있는 일본가서 이순신여운 느끼고싶다"

2010年04月20日 23:10

打ち上げ3

“이순신이 되고자 부단히 노력했어요. 아직도 잘 표현하지 못한 것 같아 아쉬움이 많이 남아 있네요”

28일 104회를 끝으로 대단원의 막을 내린 KBS 1TV ‘불멸의 이순신’(윤선주 극본 이성주 연출)에서
이순신역으로 400여 일간의 긴 여정을 마친 탤런트 김명민이 “그동안 ‘불멸의 이순신’을 사랑해주고,
아낌없는 성원을 보내준 시청자들에게 감사하다”며 “더욱더 좋은 모습을 보여드릴 수 있었는데
아쉬움이 남는다"고 말했다.

29일 오후 7시 서울 신길역 인근의 한 음식점에서 ‘불멸의 이순신’ 종방연이 열렸다. 이날 자리에는
정연주 KBS사장을 비롯해 윤선주 작가와 이성주 PD, 그리고 드라마의 숨은 공신인 스태프들과 이재룡,
유태웅, 최철호 등 많은 연기자들이 고기를 안주삼아 소주잔을 부딪치며 그동안 애썼던 노고를 달래고 있었다.
사람들 틈에 앉아 도란도란 얘기를 나누던 김명민은 이날만큼은 이순신의 모습이 아닌 연기자로서
친근한 선배이자, 후배, 그리고 배우 김명민의 모습이었다.

김명민에게 다가가 대뜸 마지막 장면에 대한 소감을 물었다. 김명민은 “마지막 장면에서 왈칵 눈물이
흘러 나왔어요. 대사 지문에 이렇게 나와 있었어요. 이 세상에서 가장 편안하고 평온한 모습으로 아름다운
죽음을 표현해 달라고요” “생전의 이순신은 어땠을까 고민도 많이 했지만, 이렇게 연기하면 안 되는데
안 되는데 하면서도 잘 안 되더라고요. 그래서 일부러 NG도 많이 냈어요”라며 못내 아쉬웠던 듯 천진난만한
웃음도 지어 보였다. 이어 그는 “지난해 첫 방송때도 마지막 장면을 연기 했었는데 당시에는 유약한
이순신의 모습을 보인 것 같아 내 자신 스스로도 고민을 많이 했다. 이후 인간 이순신의 모습을 그리려
노력했지만 지금도 이걸 잘 표현하지 못했다는 생각이 든다”며 겸손해 했다.

이번 드라마로 통해 얻은 의미를 찾는 질문에 김명민은 “이것이 마지막 연기라는 각오로 임했어요”라며
감회가 새로운 듯 촉촉이 젖은 눈망울을 보이며 “이순신이라는 캐릭터에 집중하려고 아들도 많이 못 봤어요.
아들한테 해주고 싶은 것도 많았었지만, 이제는 같이 여행도 가고 좋은 시간을 많이 보내려 합니다”며
드라마에 대한 긴 여운과 함께 가족에 대한 애틋함도 들려줬다. “당분간 좀 쉬려고 해요. 김명민 아닌
이순신으로 긴 시간동안 살아왔듯 긴 여운을 당분간 느끼고 싶어요. 뉴질랜드를 갔다 온 뒤 아내가 있는 일본,
그리고 유럽도 다녀올 생각이다”며 ‘불멸의 이순신’의 여운을 느끼고 싶다고 말했다.
“이런 자리가 올 줄은 몰랐어요. 길다면 길고, 짧다면 짧은 시간이었는데 어느새 1년 반이라는 세월이 지나
드라마가 끝이 났네요. 많은 스태프들이 아니었으면 이룰 수 없었고, 많은 선배들이 평생토록 가슴에
남아 있습니다”며 스태프에게 고마움의 표시로 정성 가득한 술잔을 건네는 김명민은 연신 미소를 지어 보였다.


"하나같이 다 애착이 가는 장면이고 기억에 남지만, 그중에서도 명량해전이 가장 힘들었었고,
기억에 더 남습니다"며 행복한 웃음을 띤 김명민은 일일히 고생한 스태프들에게 술잔을 건네며
오손도손 이야기 꽃을 피웠다.

2005.8.30 마이데일리 = 남안우 기자

2005.8.29 <불멸의 이순신> 끝낸 탤런트 김명민

2010年04月15日 22:32



"저는 연기만 했을 뿐 주인공은 장군이셨죠"
"이렇게 쓰러지셔야 했을까" 마지막 장면에 눈물이 펑펑
'불경'될까 촬영땐 농담도 안해… "연기 변신은 천천히 해야 할 듯"

성웅의 마지막은 적요했다. 그것은 싸워 얻은 일체의 것들을 제 손으로 놓아 버릴 수 있는 이에게만
허락된 장엄한 최후였다. KBS 1TV 대하드라마 ‘불멸의 이순신’은 28일 그렇게 노량 해전에서
왜적의 총탄에 맞은 충무공이 담담하게 죽음과 대면하는 장면으로 대단원의 막을 내렸다.

그러나 1년을 꼬박 ‘이순신’으로 살았던 탤런트 김명민(33)은 결코 담담할 수가 없었던 모양이다.
“그 장면에서 미소를 머금으라고 감독님이 주문하셨는데 눈물이 펑펑 나서 NG가 몇 번 났어요.
‘과연 그렇게 스러져야 했을까? 쿠데타라도 일으킬 순 없었을까?’라고 생각하니 속상하고 안타깝고…….”

수염을 떼고 두석린 갑옷 대신 청바지에 폴로 셔츠를 입었지만 그는 여전히 ‘불멸’의 주인공이었다.
“마지막 촬영 끝나고 미용실에서 그간 길러온 구레나룻을 자르는데 정말 이래도 되나 싶더라구요.
지금도 내일 다시 촬영장에 나가야 할 것 같은 기분이에요.”

지난 1년은 그에게 가혹했다.
“월요일부터 금요일까지 촬영이 있었는데 농담도 잘 안 했어요. 입이 근질거려도 참고 웃겨도 속으로
피식 거리고 말았어요. 농담 따먹기를 하는 일 자체가 ‘불경’일 수도 있다는 생각이 들어서요.
대본을 손에 쥐고 분장실에 들어서는 순간부터는 입을 다물고 마음을 다잡았죠.”

촬영이 없는 주말도 예외는 아니었다.
“한 시간쯤 발성연습하고 나머지 시간엔 주로 대본을 외웠어요. 대본이
늦게 나올 때면 죽고팠죠. 제가 그분을 제대로, 혹은 온전히 그리지 못하고 있다는 생각이 들면
그 자리에서 그만두고 싶을 때도 있었고.” 덕택에 미안한 일도 많았다.
“한번은 수원 KBS 스튜디오에 '칼의 노래’를 쓰신 김훈 선생님이 와서 3시간을 기다리시다 돌아가셨는데
어찌나 죄송하던지. 친필 사인을 한 ‘칼의 노래’를 주셨는데 지금도 가지고 다니죠.”

한해동안의 그런 치열한 노력을 김명민은 요즘 보상받고 있다.
서울예대 연극과를 졸업하고 1996년 SBS 공채탤런트 6기로 뽑힌 뒤 KBS 드라마
‘꽃보다 아름다워’에 출연하기 전까지 10년에 가까운 무명 시절을 견뎌야 했던
그는 이제 전국민에게 그냥 ‘이순신’이다.

“주말이면 50장씩 사인을 해서 부모님께 드려요. 주위 분들이 많이 달라고 하시나 봐요.
그래도 ‘스타’란 말은 저한테 안 어울리는 것 같습니다. 우리 민족에게 충무공은
‘신성 불가침 영역’인데 제가 그 분을 연기했으니 좋게 봐주시는 거겠죠.”

그러나 이제 그 거대한 존재의 그림자로부터 벗어나야 하는 과제가 남아있다.
“갑자기 껄렁껄렁하거나 사회적 통념에 위배되는 역할을 해서 억지로 이미지 변신을 하려면
거부감만 들겠죠. 시간을 두고 천천히 연기를 통해서 지워나가려 합니다.”

연기자 김명민은 충무공과 닮으려 노력했던 그 시간 속에서 어쩌면 아주 조금 ‘그분’에게
다가섰는지 모른다.
“‘불멸의 이순신’은 많은 논란의 대상이 되기도 하는 등, 결코 순탄치 만은 않았던 드라마에요.
그래도 분명히 ‘감동’은 있었죠.
그 감동이 충무공의 가르침으로 우리에게 영원히 남기를 바랍니다. ”

“완벽하지 못하다는 것을 스스로 잘 알기 때문에
완벽 하려고 노력한다”는 탤런트 김명민. /박서강기자



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